監督 久石 譲

  • 本名:藤澤守
  • 生年月日:1950年12月6日 満62歳
  • 出身地:長野県中野市出身。

『来歴』

4歳の時に鈴木シンイチヴァイオリン教室でヴァイオリンを習い始め、幼少から、高校教師の父に連れられて年間約三百本の映画を4年見続けた影響もあり、現在までの仕事に強く影響を与えていると語っている。

中学では吹奏学部に所属しトランペットを担当し、その際には演奏よりも部活用の譜面を作って周囲に聴いてもらえる方がうれしいと思ったことから作曲家を志すようになる。

須坂高等学校在学中、幌村隆に師事し和声学や対位法などの音楽理論を学ぶ。

その後国立音楽大学作曲家で島岡譲に師事、在学中よりコンサート楽曲の提供・プロデュースを行う。大学三年の時にミニマル・ミュージックに出会い、影響を受けて現代音楽の作曲家として活動を開始する。また、テリー・ライリーやフィリップ・グラスといった世界的なミニマル・ミュージックの作曲家の楽譜分析を始めるようになる。

卒業後、アンサンブルグループを結成してコンサート活動をする傍ら、1974年にテレビアニメ『はじめ人間ギャートルズ』の音楽を担当する。これが実質的な商業デビュー作品となる。

1978年からは『ニュー・サウンズ・イン・ブラス』の吹奏楽編曲を長らく手がける。

1981年、全曲編曲とプロデュースを手がけ、ミニマルを基本としたアルバム『MKWAJU』Better Daysレーベルよりリースされる。

翌年1982年には、自身の事務所となる『ワンダーシティ』が設立され、本格的なソロアーティストとしての活動を開始する。同年には1stアルバム『INFOMATION』をリリース。

1984年、宮崎駿監督による劇場長編アニメーション『風の谷のナウシカ』の音楽を担当。この作品の音楽は当初、細野晴臣が手がける予定だったが、映画のイメージが会わないと言う理由で宮崎と高畑勲が採用を取りやめ、イメージアルバムを手がけた久石が代打として本編にも起用されることとなった。それまで有名ではなかった被災氏が、このことによって一躍脚光を浴びることとなり,この際の経緯は高畑の著者『映画を作りながら考えたこと 1955~1991』に記されている。

1985年、自身のレコーディングスタジオ『ワンダーステーション』を設立。

1992年より、三年連続で日本アカデミー賞最優秀音楽賞を受賞。

1998年には1997年度芸術選奨、大衆芸能部門新人賞を受賞した。長野パラリンピック冬季競技大会では総合演出を手がけ、テーマソングも作曲する。

2001年、宮崎駿監督策『線と千尋の神隠し』や北野武監督作『BROTHER』、フランス映画『プセの冒険 真紅の魔法靴』などの音楽を担当した他、自身初となる映画『Quartet カルテット』を発表。

2004年、『ハウルの動く城』の音楽を担当する他、第五十七回カンヌ映画祭において、日本の作曲家として初となるオープニング・セレモニーの音楽と指揮を担当し、注目を集める。』

2005年、『ハウルの動く城』でロサンゼルス映画批評家協会賞最優秀音楽賞を受賞。同年には、佐藤純彌監督作『男たちの大和/YAMATO』の音楽を担当する。

2007年、前年度の著作物使用料の分配額が最も多かった作品として『ハウルの動く城BGM』がJASRACの金賞を受賞。この金賞受賞は『線土地人の神隠しBGM』から数えて二度目となる史上初となる快挙を成し遂げる。

2008年、『崖の上のポニョ』の音楽を担当し、また前年に担当した韓国ドラマ『大王四神記』の音楽で、2月のアメリカの交際映画音楽批評家協会賞テレビ部門ベスト・オリジナル・スコア賞を受賞し、6月のスペインのUBEDA FILM FESTIVAL音楽賞Goldspirit Awardsテレビ部門にノミネートされる。また中国映画『おばさんのポストモダン生活』の音楽で第27回香港電影金像賞最優秀音楽賞を受賞。

2009年、音楽を担当した『送り火と』が日本映画として初のアカデミー外国映画賞を受賞。また、第八十五回箱根駅伝からの新テーマ曲では自身初となる吹奏楽曲『Runner of the Spirit』を手掛けた。同年、紫綬褒章を受章する。

2010年、母校である国立音楽大学の招聘教授に就任、10月にはパーソナリティを務めるラジオ番組『久石譲のLIFE is MUSIC』がニッポン放送で放送開始。

2013年、宮崎駿監督作『風たちぬ』及び、高畑勲監督作『かぐや姫の物語』の音楽を担当する予定である。

久石譲の音楽はすばらしいですね

演奏活動

演奏活動も毎年行っており、ピアノ・アンサンブル・オーケストラなど様々なスタイルで活動しており、2003年にはピアノ+チェロ9本という異色のコンサートを行い注目を集める。このツアーの東京公演を収録したDVDがリリースされている。

2004年には新日本フィルハーモニー交響楽団が新たに結成した新日本フィル・ワールド・ドリーム・オーケストラの音楽監督に就任.新日本フィル・ワールド・ドリーム・オーケストラでは、自身の楽曲だけでなく、『007のテーマ』・『ミッション・インポッシブルのテーマ』・『スター・ウォーズ』と言った有名な映画音楽からラヴェルの『ボレロ』のようなクラシック楽曲など、ジャンルにとらわれないスタイルでコンサートを行っていることで話題になっている。

コンサートでは主にピアノを担当するが、2000年の『地下鉄サリン事件被害者支援コンサート』では指揮者の金洪才に変わり数曲の指揮を担当し、指揮者としてデビューする。指揮者デビューする前の2001年コンサート『SUPER ORCHESTRA NIGHT 2001』では同様に楽曲『Student Quartet』の指揮を担当していた。

2003年の、『新日本フィル・ペンションファンドコンサート』や『Symphonic Special 2003』では指揮を担当する楽曲数も増え、指揮者としての姿が目立つようになる。そして2004年の新日本フィル・ワールド・ドリーム・オーケストラツアーでは音楽監督として全曲を指揮する。尚、ステージにはピアノも設置され、弾き振りもあった。本人曰く『ピアノはあまり得意ではない』と語っているあたり、やはり不得手なものがあることがかえって、親しみやすさが出ているだろう。このコンサート以来、指揮は久石のみで行うようになった。

2005年のコンサートツアー『Symphonic Special 2005』ではステージに大スクリーンを設置し、バスターキートンの無声映画『The General』の映像に合わせてオーケストラを指揮する。元々は2004年の第57回カンヌ国際映画祭のイベントで久石が行ったものであるが、日本でも成功を収める。

2008円8月には、宮崎駿監督策のみの音楽を集めたコンサート『久石譲in武道館~宮崎アニメと共に歩んだ25年間~』を開催。6巻編成の弦楽四重奏を編成し、一般公募を含む合唱団・ソリスト他、計1100人を越えるメンバーと競演。コンサートは計三公演行われ、動員数約2万8500人以上を記録し、大成功のうちに幕を下ろした。

2011年4月末に気仙沼市や陸前高田市、大船渡り氏を訪れ、その際には被災地の学校にてピアノなどの楽器が津波により流された状況を目の当たりにして、音楽家であると言う強い想いはコンサートを開催するきっかけとなり、同年6月9日、東京国際フォーラムホール兄手『久石 譲 3.11チャリティーコンサート~ザ ベスト オブ シネマミュージック』が開催された。

『オリジナルアルバム』

監督自身が発表したアルバムも多いが、今回は監督のオリジナルアルバムを紹介しよう。

  • INFORMATION(1982年10月25日)※ワンダーシティ・オーケストラ名義
  • α-BET-CITY(1985年6月25日)
  • Piano Stories(1988年7月21日)
  • Illusion(1988年12月21日)
  • PRETENDER(1989年9月21日)
  • I am(1991年2月22日)
  • My Lost City(1992年2月12日)
  • 地上の楽園(1994年7月27日)
  • MELODY Blvd.(1995年1月25日)
  • Piano Stories II(1996年10月25日)
  • WORKS I(1997年10月15日)
  • NOSTALGIA PIANO STORIES III(1998年10月14日)
  • Shoot The Violist -ヴィオリストを撃て-(2000年5月17日)※久石譲アンサンブル名義
  • ENCORE(2002年3月6日)
  • ETUDE -a Wish to the Moon-(2003年3月12日)
  • FREEDOM PIANO STORIES 4(2005年1月26日)
  • WORKS III(2005年7月27日)
  • ASIAN X.T.C.(2006年10月4日)
  • Another Piano Stories~The End of the World~(2009年2月18日)
  • Minima_Rhythm(2009年8月12日)
  • Melodyphony~Best of Joe Hisaishi~(2010年10月27日)
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